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鉄をめぐる民俗
第41回 「鉄穴(かんな)流し」
砂鉄の採取は鉄穴流しという方法で行われてきた。花崗岩の風化土は多くの砂鉄を含んでいて、それから砂鉄を取り出すのだ。土を水路に流し込むと比重の重い砂鉄は水路のそこに沈み、軽い砂粒は下流に流れる。水による比重選鉱で砂鉄の採取をしたのだ。
まず溜め池を造り、そこから水路。鉄穴井手を造る。溜め池の水を水路に流すとき、山を削って風化土を流し込む。砂鉄は水路に底に堆積するが、濁流が下流に流れる。
粒子の大きい土砂は、まもなく沈下し、それで新田開発も行われた。しかし、粒子の小さい土はなかなか沈殿せず、支流から本流に流れ込み、県南まで達する。それの沈殿で川床が高くなる。水田に流入すると、水田の表面に赤泥の層ができる。これは稲の根の呼吸を阻害し、収穫に悪い影響をおよぼす。
下流農民からは苦情が相次ぎ、鉄穴流しの作業は、稲作のない秋の彼岸から春の彼岸までと決められた。しかし、それはなかなか守られず、各地で争いが起こったのである。
いまの季節、昔なら岡山県内の河川は、赤味を帯びた濁流が下流まで流れていたであろう。
(立石 憲利)