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鉄をめぐる民俗
第42回 「備中浜村事件」
砂鉄を採取するための鉄穴(かんな)流しによって、下流に大量の土砂が流れる。下流住民からの苦情が相つぎ、訴訟になることもあった。
訴訟で有名なのが備中浜村事件。倉敷市酒津堰から取水している八ヶ郷用水など56村が、上流の鉄穴流しを行っている村々を相手に、1845年(弘化2年)に起こした江戸訴訟。筆頭訴訟人が浜村庄屋富田郎だったため備中浜村事件と呼ばれた。浜村は、現在のJR倉敷駅北側一帯。
訴訟理由は、濁水被害、土砂堆積による河床の上昇による洪水被害などで、鉄穴場の増設禁止、稼動期間(秋彼岸~春彼岸)の厳守を求めた。
翌年、鉄穴場の増設はしない、稼動期間は厳守するなどで和解が成立。訴訟の初期の目的を果たした。ところが、期間内の稼動が増強され、土砂の流出は減少せず、下流では河床の上昇によりたびたび洪水被害が起こったという。
(立石 憲利)