鉄をめぐる民俗

第9回 「タタラ製鉄の伝説」

 岡山県苫田郡齋原(旧上齋原村)は、大正時代までタタラ製鉄が行われていたところで、最近まで積み上げられた砂鉄の山を見ることができた。
 上齋原には砂鉄製鉄に関連する伝説がある。三十人ヶ仙(1172メートル)で、昔、砂鉄を掘っていた山が崩れ、30人が生き埋めになった。それから、この山では顔が30になる化け物が出るようになり、三十人ヶ仙の名が付いたという。
 もう一つは人形仙(1004メートル)の中腹にある三十七人墓の伝説である。人形仙には津山の殿様の鉄山があり、多くの人が働いていた。明治の初めコレラが流行し、消毒に石炭酸を使った。これを飲めば病気が治るといううわさで飲んだところ、一度に37人が死んだ。その墓が三十七人墓だと。
 墓には「三十七霊供養塔」とあり、明治12年7月~8月に鉄山の住人200人のうち62人がコレラ(虎列刺)にかかり37人が死亡したと記されている。
 伝説があるように上齋原を歩くと、いまでも砂鉄を掘った跡や水路跡を容易に見ることができる。

(立石 憲利)


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