鉄をめぐる民俗

第18回 「鍛冶屋」

 『哲西史』に合併前の哲西町八鳥(はっとり 岡山県阿哲郡)の町の地図があり、そこには古い町並みと屋号、寺社などが記されている。屋号には、下鍛冶屋、中鍛冶屋、上鍛冶屋、いもじ屋という鉄に関連するものがある。
 いもじ屋は鋳物師屋で、鋳物師がいたことを示すもの。下、中、上の鍛冶屋は、大鍛冶屋か小鍛冶屋の両方が考えられる。大鍛冶屋は、たたらで製造された鉄(ずく)を精錬し、小分けにして小鍛冶に運ぶ、小鍛冶屋は、その鉄を農具などに加工する。伝承では、哲西町の大鍛冶屋は、たたらに近いところにあり、八鳥の町の中の鍛冶屋は小鍛冶屋だという。
 大鍛冶屋は、たたらから運ばれてきた鉄を炉に入れ、小炭を入れて風を送って焼き、金鎚で叩いて精錬する。鍛冶屋大工が焼けた鉄を金床の上にのせると、それを4人のテゴ(手伝い)が金鎚で叩く。金鎚の重さは20kgもあったといい、1人のテゴが120回叩いたというから、4人で480回叩いて精錬したことになる。それで銑鉄(ずく)から錬鉄になるのだ。
 鉄を焼いては叩き、叩いては焼くという作業は、想像するだけで汗が出そうだ。
 精錬された鉄は小分けにされ、駄馬で小鍛冶屋に運ばれるか、問屋から他地区へ搬出されることになる。

(立石 憲利)


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