鉄をめぐる民俗

第11回 「千松の歌」

 手まりをついて遊ぶ子どもの姿を、近年とんと見かけなくなった。女の子の代表的遊びだったのに。
 手まり歌に「千松の歌」というのがある。歌の後半に「わしの弟の千松は 7つ8つから金(かね)堀りに 金(かね)がないやら死んだやら 1年待ってもまだ戻らん 2年待ってもまだ戻らん 3年ぶりの3月に 千松死んだの状が来た 状が来た」(岡山県新見市 藤原シゲ代)と歌われている。
 この種の歌は全国にあり、金山(きんざん)に出稼ぎに行った千松のことを思って歌ったものという。
 金山は佐渡の金山のように、その労働条件が地獄と背中合わせといわれたほどだから、この歌ができたという。
 しかしカネ堀りというと砂金掘りも意味し、藤原はそのように説明している。花崗岩が風化してできた山の斜面を掘るのだから、山崩れの危険が多くあり、生き埋めの事故もあったという。そういう労働をこの歌では反映しているのだろう。

(立石 憲利)


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