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第2篇 民間武器回収命令
 8月20日付の命令とは前出の陸海軍一般命令第1号を指すが、先に見たように、ここには「日本刀」の語は出てこない。マニラ会談で検討されたのは、主に本土進駐についてであって、受領した三文書の内容を質した記録はない。日本側の要望として「武装解除」と「武器引渡」に触れたマニラでの文書が現存するが、これは軍にかかわる事項であって、やはり日本刀とは特定していない。
 ただし、東久邇稔彦(なるひこ)『一皇族の戦争日記』9月2日(日)の記事に「午前中、児島喜久雄、本間順造(ママ)に面会。両人の話は、『日本の刀剣で国宝級のものは芸術品であるから、武器として連合国が取り上げないよう交渉してもらいたい』とのことだった。」とあって、本間順治氏らが日本刀の切迫した状況を陳情したことが明らかにされる。
 詳しくは本間氏の口述『薫山刀話』によると、鑑識の稽古をつけたりして懇意だった中島喜代一(中島飛行機社長)から第一報がもたらされた。中島が兄の知久平(8月26日の省庁再編で軍需省が廃止になり商工省が設置されたのに伴い、軍需大臣から商工大臣に就任)から聞いたばかりの閣議での話によれば、「刀剣と武器は全部没収」されることになりそうだという。根拠はやはり、一般命令第1号の中の一項目である。刀剣の没収が話題に上ったことに疑いは挟まないが、あくまで推測であろう。「一般国民ノ所有スル一切ノ武器」に日本刀が含まれると解しても、当時としては何ら不思議はなかった。
 しかも、「日本刀を含む一切の武器」との理解に基づくならば、軍刀のみならず、日本刀は名刀・鈍刀の別なくすべて没収されてしまう。『薫山刀話』の中で本間氏は、「本当に途方に暮れた」と述べている。
 そこで相談したのが、製薬会社わかもとの会長夫人長尾米子である。長尾について書かれたものを見ると、しばしば「女傑」と称される。その出自は謎で、田中光顕(みつあき)伯爵落胤説に絡めて「女天一坊」と言う人もいたそうだが、いずれにせよよほど幅広い人脈があったらしい。彼女は、児島喜久雄が東久邇宮と親しいから、同行して首相に直談判せよと、本間氏に「お託宣」を与えたという。児島は東大帝大教授で、西洋美術史の権威、レオナルド・ダ・ビンチの研究でも知られる。
 東久邇宮首相は結局、依頼を承知して、「自分も話すが、近衛(文麿)にもこのことをよく話しておいてくれ」ということになった。本間氏は近衛と面識があったが、急いで会うことができない。そこで、近衛の女婿で秘書でもあった細川護貞(もりさだ)に会い、その旨を重々依頼しておいたところ、その後、近衛が承知したとの返事があったとしている。参考までに記すと、護貞氏の父護立(もりたつ)氏は(財)日本美術刀剣保存協会の初代会長(昭和23~45年就任)であり、護貞氏の長男は日本新党党首で首相を務めた護熙(もりひろ)氏である。