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第2篇 民間武器回収命令

日本刀救済の「通説」
 昭和20年8月10日、わが国はポツダム宣言の受諾を申し入れ、国民は15日正午の玉音放送によって敗戦を知った。28日の連合国軍先遣隊到着に続いて、30日には連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った。
 ところで、敗戦によって日本刀に影響が及ぶことを人々が知ったのは、いつであろうか。
 一般には、安堵と虚脱と、先々への不安が入り交じる複雑な心境にあっても、まずは当面の暮らしをどうするかに最大の関心を払わなくてはならなかったから、日本刀どころではない。刀剣商・刀匠・職方などの関係者にしても、軍刀の需要がなくなる以外、日本刀が将来どうなるかなど、想像もできなかったに違いない。どういう事情か、8月24日の『朝日新聞』には、銀座7丁目の「武廣」という刀剣店の広告が出ている。
 その後、「軍人の刀剣所有禁止」(9月13日、『朝日』)、「名刀は保存許可/進駐軍、理解ある態度」(9月16日、同)、「刀剣/民間の所持厳禁/来月十日までに警察に登録せよ」(9月20日、『読売報知』)などと広く知らされるところとなるが、それはGHQの指令(覚書)に基づいて政府の処理方針が次第に固まっていく過程でもある。
 しかし、日本刀にはまだ紆余曲折が待ちかまえている。


 このころの事情が『刀剣鑑定手帖』に記されている。
 「……昭和二十年八月二十日付の連合国軍の命令によれば、海外派遣軍の武器のみならず、国内のあらゆる武器を一定の場所に集めて、いつでも連合国軍に引き渡し得るように処置せよとあって、この武器の中には明らかに日本刀なる語がうたわれていたのである。しかも日本軍隊が使用した軍刀ばかりではなく、日本人の所有するあらゆる刀剣であることに注意すべきである。この命令が同年の十月になって、刀剣に関しては『善意の日本人が所有する骨董的価値ある刀剣は審査の上で日本人に保管を許す』という風に改められたのである。(中略)
 この指令が出されたについては内輪話をすれば、昭和二十年九月二日ミズーリ号艦上において重光日本全権が降伏調印の日に、時の首相東久邇宮(ひがしくにのみや)に、今は既にない東大教授児島喜久雄先生の案内で本間氏がお目にかかっている。そのとき、しばしばお願いしたことは、一般国民の持っている刀剣は武器ではなく美術品であるから、何とか救っていただきたいということであり、宮様もそれはちょっと難しいぞということであったらしい。宮様はこのことを近衛文麿氏に処置を頼まれたが、近衛さんが死なれた今日、どんなコースをたどってマッカーサー元帥の容れるところとなったかは明瞭でないが、このときの陳情が実を結んだものである。」(一部、表記を修正。アンダーラインは筆者)