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第2篇 民間武器回収命令
 戦後作刀史の最初は、敗戦に伴う作刀の禁止から再開に向かう過程を明らかにすることであるが、まずは「民間武器回収」の名で行われた、いわゆる「昭和の刀狩り」の解明から始めることにしたい

敗戦と日本刀
 終戦から間もない昭和20年(1945)8月19日早朝、木更津の第三航空艦隊基地から、白地の胴体に緑色の十字を描いた一式陸攻2機が飛び立っていった。乗り組んだのは、参謀次長河辺虎四郎陸軍中将を全権代表とする使節団17人である。代表の任務は、ポツダム宣言の諸条項を実施するために必要な連合国軍最高司令官の要求を受領することにあった。機が沖縄の伊江島に着陸すると、あらかじめ用意されていた米軍機に乗り換えるよう指示され、直ちにフィリピンのマニラに向かった。ニコラス・フィールド飛行場に到着したのは、その日の夕刻である。
 一行は定刻の夜8時30分、マニラ市庁に置かれたマッカーサー司令部に出頭し、参謀長サザーランド中将に天皇の名による委任状を手渡した後、連合国軍の日本本土進駐に関する会議に入った。前もって「日本側代表連の武器携帯は、米側においても無腰なれば、これを脱してもらえぬか」との申し入れがあった。対する河辺らは「将校の佩刀は服制の一部であり、武器携行ではない」として、宿舎と会議場の往復には軍刀を佩びたが、会議に際しては別室に置き、脱刀して臨んだ。終了したのは20日の午前1時であったが、使節団メンバーの帰宿後の作業は未明に及び、わずかな休息を挟んで再度の会議に臨んだ。
 会議の最後に、天皇に奉呈すべき降伏文書、天皇布告文(詔書)、および陸海軍一般命令第1号が当方に手交され、20日正午近くにすべての任務は終了した。
 陸海軍一般命令第1号は、戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印が行われた9月2日付で、あらためて指令第1号として連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から発せられた。
 このうち、次の第8項と第11項は、日本刀の存立に重大な意味を持つものであった。

 八 一切ノ兵器、弾薬及戦争用具ノ製造及分配ハ直ニ之ヲ終止スルモノトス  十一 日本国大本営及日本国当該官憲ハ連合国占領軍指揮官ノ指示アル際一般日本国民  ノ所有スル一切ノ武器ヲ蒐集シ且引渡ス為ノ準備ヲ為シ置クベシ