現代日本刀の歩み ― 戦後篇 ―

第2篇 民間武器回収命令

<注>『刀剣鑑定手帖』に佐藤貫一氏は「かくて昭和21年5月14日付をもってキャドウェル大佐の尽力による刀剣救助の覚書が発せられたのである。このコピーを非公式にキャドウェル大佐から手交された私は、感謝にふるえ、滂沱たる涙を禁じ得なかった。」と記している。筆者はこの覚書を見ていないが、勅令第300号「銃砲等所持禁止令」および内務省令第28号「銃砲等所持禁止令施行規則」にかかわるものであろう。
 日付は特定できないが、本間氏が第8軍憲兵司令官キャドウェル大佐と会談したことを示す英文の文書(THE STATEMENT OF MRHOMMA) が残っている。21年2月以降のものとみられる。そこでは、「日本政府が所持許可証を発行する権利を許されるならば、文部省が国宝や重要美術品その他として登録される刀剣類を審査し、内務省が家宝として許可される刀剣類の所有を審査するという提案」をしている。佐藤氏が滂沱たる涙をもって非公式に受け取った覚書とは、これに対する直接の回答かもしれない。
 21年5月20日付で司法省刑事局事務官から法制局第二部長に宛てた書面によれば、この勅令の趣旨はもともと進駐軍の要請に基づくもので、取締規定が不十分なため、捜査指揮と処罰が徹底しなかったところから内務・司法両省案として進めてきた。ところが、GHQの係官は「第8軍司令官の許可を受けたときに限り銃砲等を所持し得る」旨を明文に掲げよと主張したため、約4カ月が徒過してしまった。最近、佐賀県で起こった違反事件を契機に、あらためて司法省が独自に案を作成、内務省とともに交渉に当たった結果、了承を得てここに確定したという。
 銃砲等所持禁止令は6月15日施行され、「刀剣類で美術品として価値のあるもの」に限り許可を受けて所持できることになったが、大村清一内務大臣から委嘱されて本間氏を委員長とする審査委員会がその作業に着手するのは、合衆国第8軍司令部司令官からの覚書「日本の刀剣及び火器の蒐集、分類、処分について」(昭和21年8月24日付)を待たなくてはならない。
 なお、「佐賀事件」については不詳である。終戦から間もなく、佐賀県東松浦郡の福田正光・定光兄弟は米軍憲兵に屋敷を取り囲まれ、刀剣の不法所持容疑で逮捕された上、長崎県の大村収容所に拘禁されたという。故福田吉光刀匠は2人の刀匠の実弟だが、その夫人から電話で伺った話である。刀を隠匿していたら電波探知機で捜索され、見つかると沖縄に送られて強制労働に処せられるなどの噂が広く流布していたが、実際に摘発される例はまれであったから、この事件を指すのかもしれない。


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