現代日本刀の歩み ― 戦後篇 ―

第1篇 「現代刀」の定義についての再検討
現代刀の事実上の始まり

 広義の「現代刀」を概観したとき、明治・大正はきわめて寡作の時代であって、かつ新々刀の直接の影響下にあり、現代刀が独自の足跡を残すに至るのは昭和に入ってからであると既述した。
 わが国は近代化の過程で内外にさまざまな困難を経験してきたが、元号が昭和に改まってもそれは終息することなく、むしろ質と規模において一層の熾烈(しれつ)さを加えていった。
 1929年(昭和4)ニューヨーク株式市場の崩壊に始まり、資本主義国のすべてに波及した世界大恐慌は、わが国にも大きな打撃を与えた。国内では2年前にも金融恐慌を経験しており、その混乱を克服する間もなく、深刻な不況に落ち込んだ。景気がようやく回復に向かうのは、満州事変(昭和6年9月)以後の軍需インフレ政策による。この年はまた、日中戦争・太平洋戦争へと続く15年戦争の始まりでもあった。
 現代刀の画期は、以上のような時代を背景とする昭和8年である。
 衆議院議員栗原彦三郎(刀工銘昭秀)はこの年7月5日、東京市赤坂区氷川町28番地の自邸(勝海舟旧邸)に日本刀鍛錬伝習所を開設した。一方、前年末に発足していた陸軍省所管の財団法人日本刀鍛錬会が麹町区九段3丁目6番地、別格官幣社靖國神社境内に鍛錬所を完成させたのは6月25日、その竣工奉告祭と授名式、鍛冶始め式を執り行ったのは、日本刀鍛錬伝習所が開かれた3日後である。


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